2009/12/09

鮭の帰る川

この話はどこかで書いた気もするのだが、まあとりあえず「江戸前の旬」を読んでいて書きたくなったので書くことにする。

自分の田舎は、良く言えば自然に満ち溢れ、悪く言えばそれ以外ない所である。
海があり、その海岸沿いに国道が走り、さらに国道にへばりつくように集落があり、あとは山。
そういうロケーションのせいか、幼い頃から遊び場は川だの、山だの、海だの、自然とともに生きてきた。
そんなふうにいうと聞こえはいいが、自分の気持としては、それ以外の選択肢がなかった、という感じである。

それでも小学校においては、自然とふれあう授業というのがたまにあって、わざわざ山奥の合宿所に出かけてキャンプをしたり、遠足でハイキングにいったり、的なことが行われる。

あれは小学三年生の時のこと。ある日の午後。
学校裏の川に、全校生徒(50人ぐらい)で鮭の稚魚を放流する、というイベントが執り行われた。

小学校は小高い丘の上にあって、村で一番山奥にある建物である。
なので、学校裏の川と言っても結構上流の方にあり、治水のためか、かなりの量のコンクリートがぶち込まれていて、どちらかというと川というより用水路に近い。
その用水路の途中には結構な高さの段差がある。
さらに側面の高さが段差の上と下で変わらないため、小1の子だとその段差から落ちたらもう下流に下るしかなくなる。

そんな用水路の段差の上から稚魚を放流する、というイベントであった。
段差の下から放流するとなると、川は小学校まで通ってる道からはだいぶ逸れてしまっているため、移動に時間がかかるという判断があったのだろう。

イベントは始まる。
学年ごと、順々に用水路に降りて、手ですくい上げた稚魚を川面に放つ。
川の流れに身を委ねる稚魚たち。
その先には段差が生み出すカスケード・・・。

少年時代の自分、その他生徒はギャッギャ、ギャッギャ言いながら稚魚を放流していた。
しかし、全くもって幼いということは残酷なもんで、命の潰える様が面白かったりする。
皆の頭の中では、カスケードに飲み込まれていく稚魚が映し出されていたに違いない。

「死ぬよな」
「死ぬね」
という会話を良く覚えている。

・・・・・・。

もちろん鮭は帰ってこなかった。

――と思っていたが、高校のときに意外な事実が判明する。

ある日、ふとしたことから母親にその鮭の放流の話をした。
自分の話を聞きながら、母親が「本当に?」「本当にそんな行事あったの?」とかやたら聞き返してくるので、なにかあるのか? と聞くと、
「〇〇(地元にある旅館の屋号)のオヤジが前に、なんだか知らないけど、川で鮭捕まえたって話をしてた」
と返してきた。

帰ってきてたのだ!
でも、小学生時代に鮭が帰ってきたなんて話は聞いたことがない。

すぐさま、それ学校に報告しなかったの? と聞くと、
「客に振舞ったって言ってた」
とか言う。

・・・・・・。

鮭が帰ってくるなんて誰も信じていなかった。
子どもたちは、放流直後のダウンフォールでみんな死ぬものと思っていた。
帰ってきたとしても段差を乗り越えられないだろうとも思っていた。
保護者はそんなイベントがあったことを知らなかった。
つまりは先生も帰ってくるとは思っていなかったのだろう。

誰も期待してない、そんなアゲインストの中、律儀に鮭は帰ってきた。

そこでこんな結末。

さて、この話には1つだけ教訓がある。
奇跡は起きる。でも奇跡の受け取り方は人それぞれ違う。

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